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大阪地方裁判所 平成11年(ヨ)10006号 決定 1999年5月26日

債権者

原秀樹

右代理人弁護士

村松昭夫

(他二名)

債務者

ヤマハリビングテック株式会社

右代表者代表取締役

増田功

右代理人弁護士

高井伸夫

岡芹健夫

廣上精一

山本幸夫

山田美好

主文

一  債務者は債権者に対し、平成一一年一月一日から本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月二五日限り、七六万三七二五円の割合による金員を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立てを却下する。

三  申立費用は全部債務者の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  債権者

1  債権者が債務者に対し、雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は債権者に対し、平成一一年一月一日から本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月二五日限り、七六万三七二五円の割合による金員を仮に支払え。

3  申立費用は債務者の負担とする。

との裁判を求める。

二  債務者

1  債権者の申立てをいずれも棄却する。

2  申立費用は債権者の負担とする。との裁判を求める。

第二事案の概要

一  争いがない事実等

1  債務者は、平成三年一〇月一日設立の、住宅設備機器、建築部材、家具の製造及び販売を目的とする株式会社であり、静岡県浜松市に本社を置き、全国に五二か所の営業所を有し、資本金は三〇億円であり、平成一一年一月末で従業員一二二一人を擁する。

2  債権者は、昭和二四年一二月二九日生まれで、昭和四三年九月一一日、ヤマハ株式会社に雇用され、平成三年三月一五日、同社リビング営業部リビングシティ福岡のシティ長となり、平成四年四月一日付で、債務者に移籍し、同年九月一日、福岡市内に所在する債務者九州事業所福岡営業所(以下、単に「福岡営業所」という)の営業所長となり、平成一〇年四月一日、債務者大阪支店大阪南営業所に異動した。

福岡営業所の平成一〇年三月末における債権者の部下は一七名であった。

3  債権者は、平成一〇年一二月九日午前九時四〇分ころ、債務者東京事業所において、営業本部長遠藤英博、管理部長鈴木雅夫らと面談し、一身上の都合を理由とする退職願に署名し、次いで、同月一〇日、債務者浜松本社において、人事部長加藤裕章と面談して、再度、退職願を作成し、退職金から一割を差し引くことに同意する旨の誓約書に署名した。

4  債務者は、同月一四日付「管理職業務通達」及び同月一五日付「職制変更並びに人事異動通達」において、同月一一日付で債権者を解雇した旨の社内通達をした。

二  争点

1  債権者の退職の意思表示に要素の錯誤があるか否か

2  債権者の退職の意思表示が強迫によるものであるか否か

3  保全の必要性

三  争点に関する当事者の主張

1  債権者

(一) 債権者には懲戒解雇事由はなかったところ、債務者から任意に退職しなければ懲戒解雇をする旨告げられたことから、これがあるものと誤信して、本件退職の意思表示をしたものであって、右意思表示には要素の錯誤があり、無効である。

(二) 債務者は、債権者に対し、任意に退職しなければ懲戒解雇をする旨告げて、本件退職の意思表示をさせたものであるところ、これは強迫に当たるからこれを取り消す。

(三) 債務者主張の解雇事由は、理由がない。

(1) 債権者が、部下に架空の売上げを強いたことはない。むしろ、特約店の発注承諾を取るように指導しており、架空売上げの計上を黙認していたこともない。

(2) 伊東晃、梅沢賢治の違算(債務者の特約店への請求金額と現実に支払われるべき金額の不一致。以下、単に「違算」という)の処理にあたっての個人負担の件は、それまで同人らが違算発生を繰り返し、かつ営業上のトラブルも多く、これらの問題を繰り返したあげく発覚した問題に関するもので、これらが発覚すれば、債務者から同人らに厳しい処分が加えられる可能性があったため、同人らの将来を考えて話しあい、納得の上でされたものである。なお、伊東晃の負担については、転売によって負担部分は回収されている。

債務者は、債権者が部下に個人負担を強要したといってこれを懲戒事由にあげながら、その一方では右個人負担によって利益が生じているにもかかわらず、その個人負担分を支払ってはいない。これは、右個人負担が適切であったことを自認するもので、債務者の主張が理由のないことを示すものである。

架空計上等やってはならないことを行ったのは、債権者の部下である。債権者は、これらを強要した或いは黙認したなどとして、いわれなき責任を問題にされているわけであるが、本来やってはならない行為をした従業員には何らの処分もされていないし、違算処理については、債権者が率先して当たったことはもちろんであるものの、これについては債権者の上司に当たる九州支店(九州事業所が昇格)長や管理課長とも相談して行っているにもかかわらず、関係管理職についても全く処分がされていない。架空計上や違算の問題は、ひとり債権者だけの責任ではないのに、債権者だけに責任を押し付けるのは、極めて不合理である。

2  債務者

(一) 債務者が債権者に懲戒解雇事由があると告知して任意退職を勧めたことはあるが、現実に懲戒解雇事由が存在し、懲戒解雇となれば退職金が出ないなど債権者に不利益となることから、善意によって任意の退職を勧めたもので、右告知は何ら違法ではない。そして、債権者に、現に懲戒解雇事由があることから、債権者の本件退職の意思表示に錯誤があるとはいえないし、債務者の行為を強迫ということはできない。

(二) 債権者に存在した懲戒解雇事由は、次のとおりである。

(1) 債権者は債務者福岡営業所長時代に、部下の営業社員に対して、月末時において売上目標が達成されているように整えることをしばしば強要し、そのため、営業社員の中には月末になると精神的に追い込まれて、架空の売上計上を行う者があったが、債権者は自分の部下がこのような無理な操作を行って数字上の売上目標を装っている事実を認識しながらこれを黙認していたばかりか、かえって、そうした状況を慫慂していた。のみならず、債権者は、右のような架空売上や返品処理、単価計算違いなどによる違算、架空注文した商品が他に転売できるまでにかかった倉庫代金などを、担当従業員に個人で支払うよう強要した。具体的には以下のとおりである。

(2) 伊東晃は、債権者の売上目標達成強要のため精神的に追い込まれ、あたかも住商建材株式会社から注文があったかのごとく装い、もって仕様未確定のまま架空の売上げを計上して本社工場に商品の発注を行い、そのため同社との取引に違算が生じることになったが、その処理に関し、債権者は、平成九年六月二五日、住商建材福岡支店長や社員の面前で、伊東晃を激しく叱責して、その責任を全て伊東個人に押しつけた上で、架空売上げとして計上されたシステムバス一台分の代金一一一万六〇三八円につき、伊東個人に支払うよう指示し、同年七月一〇日ころ、これを支払わせた。この件について、債務者は、住商建材株式会社から、営業所長が自己の部下に個人負担させるような会社は異常であり、今後取引をしないとの通告を受けることになった。

(3) 梅沢賢治は、毎月末の商品発注締日になると注文書を書くまで債権者に外出させてもらえなかったため、やむなく仕様末確定の物件などの見積もり段階に過ぎない物件について注文書を作成して架空売上げを計上し本社工場に商品の発注を行っていた。そのため、それらの物件が実際に納入されたり、あるいは他へ転売されたりするまで当該物件を保管したことによって倉庫代金債務が発生したが、債権者は、平成九年八月二九日、同年一〇月二五日、平成一〇年三月一九日、同月三一日の四回にわたり、合計三三万一八三三円を梅沢個人に支払わせた。

また、梅沢賢治は、株式会社九州ノーリツとの取引において、複数の物件を前倒しして受注し、仕様変更の度にそのうちの一部を使用したり、使用しなかったりしているうちに物件の一部を紛失し、そのためその部分につき違算が発生したが、債権者は、違算処理のために四七万七二一六円を梅沢個人に負担させた。

さらに、梅沢賢治は、安宅建材株式会社福岡支店を経由して行っていた株式会社直方建材との取引に関して、返品処理や単価違いに基づき違算を生じさせたが、債権者は、平成一〇年二月二五日、その処理のため、梅沢個人に、安宅建材の口座に違算金一一七万五五三五円を振り込んで支払わせ、これを負担させた。

(4) 戸田泰司は債権者に売上目標達成を強く指示されて精神的に追い詰められた結果、平成九年一〇月末の締日に納期未確定のままシステムキッチン一台とシステムバス二台を本社工場に発注して、売上げ計上した。そのため、それら商品が実際に売れた日までの倉庫保管代金債務が発生し、債務者は、平成一〇年二月その請求を受けたが、債権者は、戸田個人に、倉庫代金三万一五〇〇円を支払わせた。

(5) 佐々慎一は、平成九年一二月中旬ころ、営業活動中に社用車の接触事故を起こし、修理代一二万九七六九円を発生させたが、債権者は、直後に報告を受けながら、なすべき本社経理部九州管理課(現在の営業本部営業管理部九州管理課)に報告せず、右修理代金を佐々個人に負担させた。

(三) 債権者は、福岡営業所長として、自分の部下である営業社員が前述した空売りなどの方法により不正な処理を行わないように管理監督すべき立場にありながら、これを黙認していただけでなく、不正な処理を慫慂し、なかば指示して、その結果発生した違算につき担当社員に個人負担させたのであるが、これらの債権者の所為は、個人負担させられた社員の労働意欲を失わせ、職場のモラルを著しく減退させる一方、架空の売上げ計上を行うことによって営業所としての営業成績を本社に対して偽り、ひいては営業所長としての債権者自身に対する会社の評価を不当に誤まらせるものであって、極めて悪質であり到底許されるものでない。

債権者の右所為は、債務者就業規則第六九条二号「他人の業務を妨げたとき」、同条一一号「業務に関し会社を欺く等故意に事実上に損害を与えたとき」、同条一六号「その他前各号に準ずる行為があったとき」、同条一五号「前条各号に該当し、その情が重いとき」、第六八条二号「越権専断の行為があったとき」、同条七号「不法又は不正の行為をして、従業員としての対面を汚したとき」等に該当し、懲戒解雇が相当である。

第三当裁判所の判断

一  債権者が二回の退職願を提出するに至る経緯について

1  疎明資料によれば、次のとおり疎明される。

(一) 平成一〇年一一月当時、債務者の取締役人事部長であった加藤裕章は、同月二〇日、債務者監査役太田直幹から、福岡営業所長当時の債権者に不正行為があるとの報告を受け、福岡営業所長山下親男に調査を命じた。その結果、加藤裕章は、伊東晃、梅沢賢治、佐々慎一、戸田泰司について違算等を個人負担させたとの報告を受け、その後、自ら福岡営業所に赴いたり、人事課長橋山基男に命じて伊東晃からの事情聴取をさせるなど、調査を継続し、債権者に福岡営業所長時代に違算発生の原因となる空売りを承知の上で部下に慫慂していたことや違算処理に当たって個人弁償の処理をしていたことなどの不正行為があったとの判断を固めた。加藤裕章は、同年一二月四日には、関係役員の会議を召集して、債権者の所為は懲戒解雇に相当するが、自己都合退職という寛大な措置をする道を残し、その場合でも、再発防止のための処分告知及び制裁措置を付する必要があるとの基本方針を確認した。そして、右会議で、債務者は、取締役営業本部長遠藤英博及び営業管理部長鈴木雅夫による事実確認と弁明の機会を与えることを目的に債権者との面談の場を同月九日に設け、その上で人事部門が再度債権者と面談するとの手順を決め、右九日の面談では人事部門はこの件を確知していないこととして債権者に当たることとした。そして、右方針に基づき、同月八日、営業本部長遠藤英博において、債権者に対し、同月九日、東京事業所に出頭するように連絡した。(書証略)

(二) 債務者による債権者との面談は、平成一〇年一二月九日午前九時四〇分ころ、債務者東京支社応接室において、営業本部長遠藤英博、管理部長鈴木雅夫が出席して始められた。面談は、債権者と面識があった遠藤英博が「今日は大変つらいお話をしなければならない」と口火を切って始まったが、遠藤英博又は鈴木雅夫において、架空売上げを計上したこと、伊東晃や梅沢賢治らの部下に違算金や倉庫代を負担させたこと、住商建材株式会社との取引がなくなったこと等の事実を告げ、債権者から、空売りや倉庫を借りるように指示したことはないなどの弁明がされたが、知っていたなら同じではないかと言ってこれを退けた上で、債権者の行為は懲戒解雇に当たる旨を告知し、さらに、遠藤英博において、「この件は、未だ人事部門には正式に話が行っていないと思うが、ことが明らかになれば、会社として懲戒解雇は免れない。懲戒解雇処分にするのは耐えられないので、自己都合退職として、退職金を少しでも多く貰えるように人事部に諮りたい」と告げた。債権者は、懲戒解雇に当たると聞き、茫然自失の体となったが、約一〇分沈黙した後、退職もやむを得ないという気持ちになり、「宜しくお取り扱い下さい」と述べて、遠藤英博の提案に承諾した。そこで、遠藤英博は、鈴木雅夫に退職願の用紙を取りに行かせて、債権者に交付させ、債権者に署名させた。

遠藤英博は、同日午前一一時前ころ、面談の結果を加藤裕章に報告した。加藤裕章は、これを受けて、債権者から署名捺印のある退職願を再度提出させて退職の意思を再確認し、債権者が非違行為を認め、反省と謝罪の意思を表し、債務者が「けじめ」とする措置についても承諾する旨を認めた誓約書を提出することによって自己都合退職を認めるという手順を決め、同日夕刻、西日本統括部長原武進をして、債権者に対して、同月一〇日午前一一時に印鑑を所持して浜松市所在の本社に出頭するように連絡した。(書証略)

(三) 債権者は、同月一〇日午前一〇時四〇分ころ、債務者浜松本社に出頭し、役員応接室において、人事部長加藤裕章と面談した。加藤裕章は、その席上、債権者に対し、債権者の行為は、会社としての秩序を乱す行為であり、社会的信用を失墜させ、事業上の損失を被らせたもので、重大な就業規則違反であり、懲戒解雇処分相当と考えるが、遠藤本部長から、債権者が今回の件に反論もせず、神妙にしているので寛大な措置をお願いしたいとの要請もあること、今回のことを神妙に受け止めて抗弁せず、反省していること、三〇年にわたる貢献があることを考慮して、退職金が支払えるように自己都合退職という形で対応したいと話し、さらに、債務者としては、債権者の将来を慮るとともに、社内的なけじめをつけなければならないので、退職金は一割を減額し、社内的な異動通知は解雇と表記することになると告げた。

債権者は、これに弁明したり、異議を述べることなく、「退職だけは何とかならないでしょうか」と懇請したが、加藤裕章に拒否され、観念して、労政専任課長から渡された退職願に署名押印し、退職金から一割を差し引くことに同意する旨の誓約書に署名した。(書証略)

2  以上の事実によれば、債権者が二度にわたって作成提出した退職願は、退職の意思表示といいうるところ、これらは遠藤英博又は加藤裕章から、懲戒解雇事由があることを告げられ、これを避けるための手段として自己都合退職を勧められてしたもので、債務者が任意に退職しなければ懲戒解雇となるものと信じてした意思表示ということができる。

二  債権者の退職意思表示の効力

1  債権者は、前述のとおり、任意退職しなければ懲戒解雇となるものと信じて退職の意思表示をしたものであるから、債権者に懲戒解雇事由が存在しなければ、右意思表示は錯誤に基づくものとなる。そこで、以下、債務者主張の懲戒解雇事由の有無について検討する。

(一) 債権者の部下である伊東晃は、債権者から売上げ目標達成を厳しく求められ、特約店の担当者に値引きや事後の変更を約束して前倒しで発注をさせたり、無断で発注したりして、架空売上げを計上していたが、そのため、後日、債務者の請求額と特約店の支払う金額に差異が生じるといった違算の問題をしばしば生じさせていた。そして、伊東晃は、平成八年一二月にも、債権者から売上げ確保を厳しく求められ、あたかも住商建材株式会社から注文があったかのごとく装い、仕様未確定のまま架空の売上げを計上して本社工場に商品の発注を行った。そのため、同社は、営業所長である債権者と伊東晃に対して、違算の事例をまとめた書面を送付して度重なる違算の清算処理を求めて来た。債権者は、伊東晃に対して、「空売りをして、売上げを上げろとは言っていない」と言って厳しく叱責した上、「返品処理をすると社内的に問題となり、処分を受けることが予想される。自分で買い取って転売したらどうか」と提案し、伊東晃にこれを承諾させた。そして、債権者は、平成九年六月二五日、住商建材福岡支店における打合せにおいて謝罪弁解し、支店長やその社員の面前で、伊東晃を激しく叱責し、架空売上げとして計上されたシステムバス一台分の代金一一一万六〇三八円については伊東晃が支払うと説明した。伊東晃は、同年七月一〇日ころ、右金額を同社に支払った。(書証略)

ところで、伊東晃が架空売上げを計上したのは、毎月の売上げ目標達成のためであり、その達成を債権者から強く指示されたからにほかならない。ただ、債務者の九州支店においては、平成九年には、業績が低迷するようになり、九州支店内に管内の各営業所担当者ごとの売上げグラフが貼られたり、営業所長に対しても、売上げ達成のための方策について報告を求められたりして、売上げ目標達成が強く指示されており、債権者は、これを受けて、福岡営業所において、その部下に対して売上目標達成を強く指示してきたものである。

債権者が、部下に架空売上げ計上を慫慂し、或いはこれを黙認していたかどうかについては、債権者が、これを指示したとまではいえないものの、伊東晃は、右認定の違算問題のほか、平成九年四月にも架空売上げによる違算問題を生じさせ、債権者がその処理に当たっており、伊東晃のほか、後述のように、梅沢賢治、戸田泰司も架空売上げを計上しており、頻繁に違算を生じさせ、或いは倉庫代債務を発生させていることからすれば、債権者は、遅くとも、平成九年四月ころには、見積段階で発注しているケースがあることに気がつきながら、これを黙認していたものと推認するのが相当であるが、右時期以前については、債権者が架空売上の計上に気づいていたとの疎明はない。(書証略)

ただ、債権者は、伊東晃個人に違算の生じた商品代金を支払わせたことについて、同人については取引先からの苦情も多い上、平成九年四月ころから違算を生じさせ、九州支店長、管理課長も加わってその処理が終わった直後に再度違算を生じさせたため、同人が債務者から処分を受けないようにするためで、同人のためにしたものである旨述べるが、仮にそうであっても、その処理が妥当なものでないことは明らかである。

(二) 債権者の部下である梅沢賢治は、債権者に強く指示された月末の売上目標を達成するため、見積もり段階で、仕様も確定していない物件について注文書を作成して架空売上げを計上し、本社工場に商品の発注を行っていた。そこで、それらの物件が実際に納入された場合に、金額に差が生じて違算となったり、納入まで、或いは他へ転売するまで当該物件を保管したことによって、これを保管した九州ニシリク株式会社に対する倉庫代金債務が発生することとなった。

梅沢賢治は、債権者の指示により、平成九年八月二九日、同年一〇月二五日、平成一〇年三月一九日、同月三一日の四回にわたり、九州ニシリク株式会社に対し、倉庫代金として合計三三万一八三三円を個人で負担して支払った。

ただし、九州事業所では、商品を長期間倉庫に保管する扱いをやめるため、預かり期間が二週間を超える場合は、これによって生じる倉庫代は担当者個人が負担するものとしており、その内容は、九州支店長及び管理課長の承認を受けた上で文書化されていたのであって、債権者は、この方針に従ったものである。(書証略)

梅沢賢治は、株式会社九州ノーリツとの取引においても、仕様未確定の商品を前倒しして受注した形で発注し、その後の仕様変更の度にそのうちの一部を使用したり、使用しなかったりしているうちに部材の一部を紛失した。そのためその部分につき違算が発生した。債権者は、梅沢賢治に対し、施工店が株式会社ノーリツからその部材を購入し、代金四七万七二一六円を梅沢賢治が支払うという形を取って処理するように指示し、梅沢賢治はこれにしたがって、右金額を自ら負担した。(書証略)

また、梅沢賢治は、平成九年から安宅建材株式会社福岡支店を経由してする株式会社直方建材との取引を担当し、平成一〇年二月、返品処理の遅れや単価違いに基づき違算を生じさせたが、債権者は、その清算金を梅沢賢治個人で支払うように指示し、同人に、平成一〇年二月二五日、一一七万五五三五円を安宅建材株式会社の口座に振込ませた。(書証略)

(三) 債権者の部下である戸田泰司は、平成九年一〇月末の締日に納期未確定のままシステムキッチン一台とシステムバス二台を本社工場に発注して、売上げ計上した。そして、それら商品が実際に売れた日まで倉庫に保管した結果、倉庫代金債務が発生し、平成一〇年二月に債務者に請求がきた。そこで、戸田泰司が債権者に相談したところ、自分でしたことだから自分で支払うようにと指示した。そのため、戸田泰司は、平成一〇年三月三一日、やむなくアスコムカンパニーに倉庫代金三万一五〇〇円を自己の費用で支払った。(書証略)

(四) 債権者の部下である佐々慎一は、平成九年一二月中旬頃、営業活動中に社用車の接触事故を起こした。そこで、佐々慎一は、事故直後に債権者に報告した。債権者は、同人に事故報告書を作成させて、それを本社経理部九州管理課に報告すべきであったのに、「報告はなかったことにする。営業車の修理は自分でまいた種だから、自己完結のもとで修理を行え」と指示して、管理課への報告を行わなかった。そのため、佐々慎一は、平成一〇年一月六日、修理を行った松岡モータース株式会社駅南営業所に対して修理代金一二万九七六九円を自分で支払った。(書証略)

債権者は、右指示を否定する陳述をするが(書証略)、佐々慎一が何の指示もなく自己負担する理由はなく、これを採用することはできない。

2  以上により検討するに、債権者は、その部下が、遅くとも、平成九年四月ころには、見積段階で発注しているケースがあることに気がつきながら、これを黙認していたものと推認され、部下がこのような架空売上げを計上したのは、債権者による売上げ目標達成の強い指示によるものであるといえ、また、違算による清算金や倉庫代、車両の修理代を担当従業員に負担させたことも認められるところ、倉庫代金の負担については、必ずしも債権者だけの責任ではないし、部下が架空売上げを計上する原因となった売上げ目標の達成は、債権者が上司からの強い指示に従った面もあり、これも債権者だけを責めることはできない。部下の架空売上げ計上を黙認していたことは許されないことではあるが、伊東晃の違算については債権者が架空売上げの計上を知る以前のものであり、他の者の架空売上げについても、債権者が認識する前のものが含まれている可能性がある上、その黙認は、その部下同様に、債権者が上司から売上げ目標達成の強い指示を受けていたことと無関係ではないし、違算による清算金を担当従業員に負担させたことも、許されるべきではないが、これによって債務者に損害を与えたものではない。債務者は、住商建材株式会社との取引が限定されたものとなった旨主張するが、必ずしも疎明されていない。債権者に自らの保身を図る意図がなかったとはいえないであろうが、自己の私的な利益を図ったものではない。そして、架空売上げを計上した部下については、第一次的な責任があることは明白であるのに、その負担した金額が補填されこそすれ、処分がされたことは窺われず、また、債権者の上司についても、その責任について検討されたことは窺われない。このように見てくると、債権者の責任は重いものの、債権者のみを処分の対象として懲戒解雇とするのは、処分の均衡を欠くものであり、疎明される他の事情を考慮しても、この結論を覆すものではない。してみれば、債権者には、懲戒解雇事由が存在したということはできない。

3  以上によれば、債権者は、懲戒解雇事由が存在しないにもかかわらず、これがあるものと誤信し、懲戒解雇を避けるために、任意退職の意思表示をしたものであって、その意思表示には要素の錯誤があったということができる。したがって、右退職の意思表示は無効であり、債権者は未だ債務者に対する雇傭契約上の権利を有する地位にある。

三  保全の必要性

1  債権者は、賃金の仮払いを求めるとともに、雇傭契約上の地位を仮に定める旨の裁判を求めるのであるが、右申立てのような仮の地位を定めても、任意の履行に期待するほかないものであって、これによって法的な効果が生じるものではないから、特段の必要性がない以上、このような仮の地位を定める必要性はないものといわなければならない。そして、右特段の事情があることは疎明されていない。

2  債権者は、債務者からの賃金によって生計を立てていたもので、住宅ローンなどの債務を有するほか、家族三人を扶養し、両親の生活の援助を行っており、生活費として、従来得ていた毎月七六万三七二五円が必要である。そして、債権者には、債務者からの賃金以外に収入はなかったから、本件保全の必要性を肯定できる。(書証略)

よって、主文のとおり、決定する。

(裁判官 松本哲泓)

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